西宮ロータリークラブの沿革

西宮ロータリークラブの創立

西宮ロータリークラブは1937(昭和12)年5月20日を創立日とする。
同年7月5日大阪ロータリークラブをスポンサー・クラブ、神戸ロータリークラブを後援クラブとし、
発会式を旧甲子園ホテル(現武庫川女子大学甲子園会館)で挙行した。
チャーター・メンバーは24名、初代会長は一瀬粂吉氏、初代幹事は進藤静太郎氏で、
毎週月曜日昼に例会を旧甲子園ホテルで開いた。
クラブ設立に当たり中心的な役割を担ったのは長部慎三氏(初代副会長)である。
同年7月30日に国際ロータリーから加盟承認された。
(登録番号4359、日本で29番目、兵庫県2番目)
チャーター・ナイト(認証状伝達式)は翌1938(昭13)年6月4日
旧甲子園ホテルで会員・家族に加え大阪、神戸
両ロータリークラブ他各地からの大勢のロータリアンが参加し、
総勢260名の盛大なものであった。

国際ロータリーを脱会

日中事変の長期化の中にあって軍部のロータリーに対する圧力が厳しくなり、
1940(昭15)年8月に「西宮月曜会」と改称して例会を継続していたが、
次第に出席者が減少してきたこともあって同年12月に国際ロータリーからの脱退を決議した。
(国際ロータリー脱退は翌年2月14 日受理された)
その後は「西宮火曜会」と名前を変えて毎週火曜日に例会を開くことになった。
  例会場であった旧甲子園ホテルが海軍病院に接収されたため宝塚ホテルに例会場を移したが、
第2次世界大戦の戦況悪化から例会運営に支障をきたすようになり、
1945(昭20)年6月19日の例会を最後に無期休会となった

国際ロータリー再承認から現在に到る経緯

戦争終結後、例会の再開に向けて準備の話し合いが持たれ、
1949(昭24)年8月19日に大阪、神戸両ロータリークラブのスポンサーのもと
国際ロー タリーより再承認された。
チャーター・ナイト(認証状伝達式)を11月22日大関静和館に於いて約100名の参加を得て開催した。
再承認時のチャーター・ メンバーは21名である。
例会場には当時六湛寺町にあった西宮商工会議所会議室をあてていたが、
1951(昭26)年11月に大和銀行西宮支店へ移転、
更に1969(昭44)年3月同支店の現店舗への移転に伴い、再移転した。その後、
諸般の環境変化と甲子園都ホテルの開業に伴い、
1993(平5)年6月末から甲子園都ホテルで例会を開催し現在に到っている。

西宮ロータリークラブ創立25周年記念と育英基金

西宮ロータリークラブ創立25周年記念式典は1962(昭37)年5月20日宝塚ホテルで開催され、
その記念事業として西宮育英基金が創設された。
基本財産として1千万円を信託預金とし、その利息をもって西宮市内高校に在学中で、
学業優秀ではあるが、経済的事情で大学進学が困難な者に対し、
西宮市 教育委員会の推薦のもとに毎年1~2名に月額5千円の奨学金を支給した。
基金は順次会員の寄付により増額され、現在は3千万円弱となっている。その後、
支 給対象者を西宮市内の大学が推薦する外国人留学生とし、
奨学金も逐次増額されて平成13年末現在は月額8万円である。

西宮ロータリークラブ創立50周年記念行事と西宮ローターアクト・クラブ

西宮ロータリークラブ創立50周年記念例会を1987(昭62)年5月19日旧甲子園ホテルで、
5月20日記念式典を神戸ポートピア・ホテルで坂田ガ バナー、
八木西宮市長等多数の来賓や姉妹クラブのスポケ-ン・ロータリークラブ、
彰化ロータリークラブの会員を含む多くのロータリアンを迎えて華やかに開催した。
これに先立ち、前年の1986(昭61)年6月14日西宮夙川ロータリークラブを創立させ、
また、1987(昭62)年4月7日西宮ローターアクト・クラブの結成をみた。
ローターアクト・クラブはロータリークラブの提唱により、
近隣地域に居住、就職または勉学している18歳から30歳までの青年男女で構成され、
個々の 能力の開発にあたって役立つ知識や技能を高め、
夫々の地域社会における様々なニーズと取り組み、
親睦と奉仕活動を通じて全世界の人々の間によりよい信頼関係を推進する
ための機会を提供することを目的とする。
西宮ローターアクト・クラブは10年余りの活動の後、
その役目を終えて1997(平9)年7月に解散した。

西宮ロータリークラブ創立60周年記念行事と「春の唄」歌碑

創立60周年記念例会は1997(平9)年5月20日甲子園都ホテルでスポンサー・クラブの大阪、神戸
両ロータリークラブや姉妹クラブの彰化ロータ リークラブ、
友好クラブの倉敷ロータリークラブの会員など多くのロータリアンの出席を得て開催された。
記念事業として喜志邦三作詞内田元作曲の「春の 唄」の歌碑を西宮市に寄贈した。
その歌碑は、阪急西宮北口駅北に震災復興事業として建設されたアクタ西宮・プラザデッキに
据付けられ、2001(平13) 年4月除幕式を行った。

西宮ロータリークラブの区域限界

西宮ロータリークラブの区域は、宝塚ロータリークラブの創立に伴い宝塚市を、
芦屋ロータリークラブの創立時に芦屋市を割譲し、
西宮甲子園ロータリークラブの創立に伴い西宮市東川以東を譲渡(但し、権利保留)、
神戸有馬ロータリークラブ創立時には西宮市山口町(但し、権利保留)を譲渡したが、
要するに現在の西宮市域を区域限界としている。

西宮ロータリークラブがスポンサーをしたクラブ

西宮ロータリークラブがスポンサーをしたクラブは次の6クラブである。
(括弧内は共同スポンサー・クラブ)
尼崎ロータリークラブ(大阪)・1951(昭26)年
宝塚ロータリークラブ(大阪、池田)・1957(昭32)年
芦屋ロータリークラブ(神戸東)・1959(昭34)年
西宮甲子園ロータリークラブ・1965(昭40)年
神戸有馬ロータリークラブ(神戸西、神戸東、三田)・1975(昭50)年
西宮夙川ロータリークラブ・1986(昭61)年

西宮ロータリークラブが輩出したガバナー

西宮ロータリークラブ出身の地区ガバナーは
1958~59年度 今田恵氏、1966~67年度 難波紋吉氏、1978~79年度 執行孝胤氏である。

姉妹クラブと友好クラブ

1961(昭36)年以来、西宮市と米国ワシントン市とが姉妹都市の提携をしている縁で、
1975(昭50)年11月にスポケーン・ロータリークラブと姉妹クラブの提携を行い、
翌年から子弟の交換が実施され、現在も継続中である。
なお、姉妹クラブ提携記念に贈呈した西宮神社の社殿模型はスポケ-ン市長室に飾られてある。
西宮ロータリークラブが台湾彰化市出身の許淵泉氏を米山奨学生としてのお世話をした縁で、
1980(昭55)年彰化ロータリークラブと友好クラブ、3年後姉妹クラブとして提携し、
相互に親密な交流を行っていた。
諸般の事情で1998(平10)年友好クラブに変更になり現在に到っている。
倉敷ロータリークラブとは1997(平9)年友好クラブの提携を結び、
毎年相互訪問を行って親善を深めている。